道の草を食う

主に自分用のメモです。たまに見返して手を入れます。

論文メモ:Moore, H. L. (2012) Avatars and Robots: The Imaginary Present and the Socialites of the Inorganic.

 

書誌情報

Moore, H. L. (2012) "Avatars and Robots: The Imaginary Present and the Socialites of the Inorganic." Cambridge Anthropology. 30(1): 48-63. 

 

後にこの論文集に収録されたが、それよりも一足さきにCambridge Anthropology誌の「Sociality」特集に掲載されており、そちらは無料で読むことができる。今回紹介するのはそちらのジャーナルに掲載されたヴァージョンであり、その後論文集に入るにあたって変更があったのかどうかについては確認していない。

https://www.berghahnjournals.com/view/journals/cja/30/1/ca300106.xml?rskey=kkOeYn&result=2

 

著者とか背景とか

著者のHenrietta L. Mooreは現在University Collage of Londonに所属する社会人類学者であり、特にフェミニズム人類学の領域で多くの功績を残してきたようである。フェミニズム人類学や、人類学におけるジェンダー研究に関しては入門書で読んだくらいの知識しかないが、ざっとgoogle scholarなどで検索してみた限りでは、1994年に出版された「A passion for difference: Essays in anthropology and gender」という論文が1700回以上引用されている。

彼女が今回このような論文を書くようになった背景はよくわからないが、この時期の彼女にとって「Sociality(社会性)」が重要なキーワードであったことは確かである。同じ特集に収録されたNicholas J. Longとの共著論文「Sociality Revisited: Setting New Agenda」という論文(というより特集のイントロダクション)があるので、余裕があればそちらも参照してみたい。

アフェクト論に対して批判的な立場をとる。

 

 

内容メモ

Intro(pp.48-53)

世界を理解するためのアイデアの変化
・社会と心との弁証法や構造→潜在性、特性、なることの形態、愛着、情動

二つの顕著な展開

(1):変化する技術が、新たなメタファーの適用によって意味のある情報へと変わる新たな形式のデータを可能にする→メタファーが調査対象、アプローチ、それについて考えるやりかたの特徴を変化させる(p.48)
 ex. Callon:ホタテのエイジェンシー

方法論的・理論的アプローチは、私たちの調査対象を再定義している。 

〇主体―客体二元論への批判:
・人類学においては「マテリアリティ」へのアプローチにおいて中心的。
→ANT(アクター・ネットワーク・セオリー)からの影響

〇ANT:
・ハイブリッド・ネットワークにおける人間/非人間アクターの「エイジェンシー」への注目
→文脈(context)、環境(environment)、相互関係(interrelation)、情動(affect)に関する考えを刺激。

〇情動(affect)
・Affective Turnの共通の存在論
→なること、集合体、関係性、自己増殖、情報、分化といった概念

〇これらの議論は、人間のカテゴリーだけでなく、生命そのもの根本的な問題へ影響
・人間や生命といったカテゴリーを、我々は自然なものとして受容している。
・しかしそれらを定義してきた生物学自体も、常に同じ形であるわけではない。
「生命はもはや一つの本質ではなく、「生きているもの」を必ずしも定義するものですらない」(p.50)
→人間の能力は人間の中だけにとどまるものではなく、生命も有機体だけの特徴ではない

→人間や生命についてのフレーミングや分類は、常に「政治的」

(2):政治(p.50)

〇ダナ・ハラウェイ:「サイボーグ宣言」
・人間―非人間、自然―人工との二項対立を破り、押し付けられたカテゴリーから人間を解放する、というビジョン
→その後のフェミニズム哲学において大きな影響
人間性は、生命のように、自然の範疇ではない。なぜなら、存在論的な範疇は、私たちの表象と結びついており、規制的な理想は、私たちの記述的・分析的言語の枠組を形成しているからである」(Moore 2011)。

〇人間だけがエイジェンシーを持つわけではない
・多くの文化や哲学体系では当たり前であり、人類学にはこうした人々や文化についての蓄積がある。
 ex. リーンハルト:ニュー・カレドニア、ストラザーン:メラネシア、デ・ラ・カデナラテンアメリカ

「人間の主観の脱中心化や、ある意味での行為者(actant)と情動(affect)の概念は驚くべきものではないが、なぜ現代の人類学は、物質性、人間性、社会性、生命に関する概念を再理論化するために、自らの資源ではなく、ANTや生物学、情報学に目を向けてきたのだろうか」(p.52)

〇二つの影響
①:生命や人間についての物語は、新しい生物学や情報技術の発展によって増幅され、不安定化されている。
・そうした中で生殖技術、生物学、進化モデル、情報技術が新しいメタファーを提供。
→その時代の政治と調和しているから魅力的に感じられる

②:ポストモダン言語モデルからポスト・ヒューマンへの移動に関する魅力
・人間の非人間との出会いは重要であり、こうしたかかわりにおける鍵は「身体」、そして感情、情動である。
→アフェクト理論が魅力的なのは、言語的な領域の外にある肉体的な経験やコミュニケーションの形式に注目するからである。

※ここでいう情動は、多くの研究者によってすべての社会的意味に先立つものであり、社会的意味の外にあるものであると考えられている。

〇人間を中心にすることが突然問題になる
・これまでの人類学における「主体―客体」関係批判を無視し、「文脈の中で合理的な他者」という概念から遠ざかっている。

 

What Can we Learn from Robots and Avatars?(pp.53-60)

以上の議論を受け、著者は社会性(Sociality)という概念に新たに注目することを提唱する。そのことが「人間であること、生きていることについて私たちが何を知っているかを考えるための生産的な方法」だというのである。

→社会性について、人間/非人間、有機体/無機体、の区別を行わずに探求を行うにあたって、「ロボット」と「アバター」から議論を始めるのは有効である。
It may seem counterintuitive, but starting with robots and avatars is useful because it allows us to begin an enquiry without necessarily assuming a devide between the human and the non-human, the organic and the inorganic.(p.53)

Robots(pp.53-57)
〇現代のロボットは変化する人間社会の中で機能するように設計される必要がある
「身体化(embodiment)」の問題がこのプロセスで鍵となる。

〇社会的な文脈や環境に対応するロボットをつくるのは難しい
社会的な文脈や環境は、あらかじめ定義されたものではなく、相互作用の中で生まれてくる。
・人間はこのような文脈の中に、情動や感情を用いて自分を位置づけることを得意とする。(Dmasio 1994, 1999)
→「人間の認知と知性は、単に身体化されたものではなく、生物学的に文化的な身体の中に身体化される」(Enfield and Levison 2006)

〇ロボティクスが実証していること:生物学的に文化的な身体(biologically cultural body)の相互作用から生まれる人間の社会性が、社会生活や認知の基盤となっているということである。What robotics demonstrates-perhaps unsurprisingly-is that human sociality as an emergent property of the interaction of biologically cultural bodies is foundational to social life and cognition. (p.)
・他者を自己と同様の「意図」をもつエージェントとして理解
・世界に注意を払う方法を開発し、他者と共有、対話的な模倣によって学ぶ
※ここにおけるヒト―非ヒトの分類は、現在の研究に照らしてどこまで妥当か?

〇社会性の定義の妥当性
・以上の議論で示されているように「他者の精神状態に合わせて行動を方向付ける能力」が人間の社会性と認知の決定的な特徴であるなら、「細胞の再生産や自然界における群れ」に基礎づけられた<アフェクト理論>は人間の社会性やエイジェンシーの拡張に関する適切なモデルとはなり得ない。
・<ANT(Actor Network Theory)>も、アフェクトセオリーと結びつくうえでは説得力を持つが、次の点を説明できないという意味で脆弱である。

→「人間の社会性が、必然的に情動によって支えられているにも関わらず、どのようにして、そしてなぜ独特(distinctive)なのか」

〇情動と認知
・情動の自律性(Massumi):情動や感情や、意図や意味とは無関係に発生する
→動物を対象とした研究では、情動と認知は別個の領域ではないことが実証
人間では、(1)新生児期に情動が言語や規範、価値観と発達的に結びつく、(2)表象の学習や葛藤が情動を生じさせる、ことによってこの二つが束ねられる。

〇つまり、記号の認識と操作は、他者との協調と相互作用の歴史の中で生まれてきたものであり、主観的に作られたものである。
・保育者と赤ちゃんとの相互作用→模倣→学習
「学習を通じた生物学的発達のこのプロセスの結果、情動と文化の両方に密接に同調する神経系、身体、脳がより統合される」(p.56)

〇人間の社会性に特徴的なことの一つは、人間が表象と意味を用いて、意識的な知識と無意識的な知識、高次の認知と感情を調整していることである。
→人間は独特の方法で世界を志向しているが、シンボルシステムや文化的規範は、社会的・文化的決定の不特定のプロセスを経て、文化分析がしばしば想定してきたように人を作るのではなく、むしろそのようなシステムや規範は、生物学的に文化的な環境との関わりの中から生まれてくる。

Avatars(pp.57-60)
アバターからなにを学ぶことができるか。
人間の社会性や認知の特徴の一つは、その仮想的な性格にある
・記号が世界の物事を表すものであることを認識することを学ぶだけでなく、それが存在しないときにも、その物事を参照し、それを思い浮かべることができる能力

〇人間の社会性を考えるときには、この能力を考慮に入れる必要がある
→重要なのは、これらが、想像上のものに属性や資質を想像的に帰着させ、その後に愛着を形成する能力でもあるということ。
アバターは、意味や価値を与えられる対象であるため、この点から有効。
アバターについての文献の多くでは、「アイデンティティ」に関する議論が行われている
アバターが創造者の自己とどのように関係しているのかという点に疑問が残る。

 〇バーチャルな世界で人々は何をしているのか?
情報的なものと生物学的なもの、仮想的なものと実際のものが曖昧になることで、人間の社会性に新たな文脈、新たな種類の社会的アクター、自己と世界の関係のための新たな物語、そしてそのような問題を議論するための新たな言語が生まれている。

自己とアバターの関係についての問いを再定義するには、さらなる反省が必要
・オンラインで被害に合うことは、強いストレスを与える。
アバターに対する愛着の形成
・バーチャル世界へ参入する人のモチベーションは、生活のより多くの側面がオンラインに移行したりするなかで、多様化している。

〇人間は歴史的に、手の届く範囲を広げ、認知能力や情動的能力を高めるために、常にオブジェクトやテクノロジーを使用してきた。
→しかし、アバターが明らかにしているのは、人間が物体との相互作用の中で、物体に命を与え、物体との相互作用を通して人間性の側面や属性を投影し、意図的な側面を模索しているということである。

ヴァーチャル世界の社会性は、実際の世界の社会性によって完全に説明はできない。
・独自の文化的生態系の中で、アバターアバターが相互作用しながら発達
・プロテウスエフェクト:アバターが実際世界に影響を与える
アバターは、独立のエージェントや、人間の自己表現の結果でもなく「エイジェンシーの場所」であり、人間は身体化されたアバターであるという認識をしばしば伴う

このような物体(object)と自己は密接に絡み合っている。
アバターは自己と物体の世界の境界に存在し、人間の社会性を特徴づけるかかわりと愛着を暗示し、世界や他者との関係を再考する想像力の喜びを利用している」(p.60)

 

Conclusion(pp.60-61)

「ラトゥールに倣って、アバターは対象でも主体でもないということには同意できるが、実際にアバターが「肉体と魂が不可分に」存在するものであるとすれば、それは私たちがアバターにこれらの特性を持たせているからである」(p.60)
→人間は情動に支えられているとはいえ独自であり、

アバターは一種の拡張的メタファー
・人間の身体についてのイメージと実際の身体との、自己と世界とのかかわりとのあいだのアレゴリー
 →教えてくれることは、すでに知っている多くのこと
 ・主体/客体という固定された関係は存在しない
 ・人間は物体に愛着を持つ
 ・物体や非人間は「アクタント(行動者)」であること。

〇エイジェンシーは社会性と同じではない
・霊長類、アリなど:エイジェンシーと社会性の形式を持っているが、人間の社会性は持っていない。
→人間の場合「情動を高次の認知状態に結びつけるために生物学的に進化した能力は、人間の場合、情動は社会的意味に先行しておらず、社会的意味の外部には存在しないことを確実にしている」(p.60)

細胞や、生命のメタファーは魅力的である
「しかし、生物学的プロセスのモデルや比喩が、この世のものではないものに依存していることを特徴とする人間の社会性の特徴を有益に捉えているとは考えてはならない」(p.61)